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【お知らせ】「人」明日へのストーリー『「足るを知る」活動』[愛媛県]

2021.07.26

平成19年度1次隊/ジンバブエ、ウガンダ/言語聴覚士 林 謙太郎(愛媛県)

【青年海外協力隊に応募した経緯】
脱サラし、バックパッカーのマネ事で色々な国、地域をフラついていた20代前半。1999年8月3日、旅先のソロモン諸島の首都ホニアラでJICAの事務所を見付けました。JICAが青年海外協力隊事業を行っているのは知っていましたが、当時の私は無責任な一人旅を好むフーテン者。人様のお役に立てるような者ではないと自覚していたので、協力隊員になるなんて考えたことはありませんでした。しかし、この時はなぜか「話だけでも聞いてみよう」と思い、Tシャツ、短パン、ビーサンという非常識な格好で事務所を訪問しました。しかもアポ無し。非常識の塊の私を職員の方々は暖かく迎え入れてくれ、所長は私のために時間を割いて協力隊事業について親切に教えてくれました。そして最後に、「帰国後のことを考えずに安易な気持ちで応募だけはしないように。帰国後の明確な人生プランを決めておく、もしくは手に職をつけてその分野で応募し、現地の方々のお役に立てるようにしないといけないよ。はっきり言わせてもらうと、今の君では駄目だからね!」と、おっしゃいました。

やっぱり協力隊員には向いてないんだな。その時はそう思いました。そのまま旅を続け、ラオスのルアンパバンという町を訪れた時、助産師として活動されている隊員と出会いました。彼女は人間的に素晴らしい方で、現地の方々から慕われているのが分かりました。その彼女から具体的な活動内容や、現地の方々との触れ合い、ラオスでの生活等々伺っていると協力隊員というものに惹かれ、「自分も隊員になろう!」と決意しました。

帰国後はソロモンで会ったJICA所長のアドバイス通り、手に職を付けることにしました。いろいろ考えた結果、言語聴覚士という職種に魅力を感じ、帰国から1年経った後、養成校に入学し2年間勉強、そして資格を取得しました。4年間臨床経験を重ね、念願の協力隊員になることができました。

【困窮を極めた最初の任地】
2007年6月。私は言語聴覚士隊員として、ジンバブエの地方都市グエルの聾学校に派遣されました。主な任務は難聴を患っている生徒達に対する発音指導と教員への指導法伝達でした。

しかし、当時のジンバブエは超ハイパーインフレに喘いでおり、経済、社会が混乱していました。同僚教員の給料は昇給はあれど、激しく上昇を続ける物価に追いつかず、給料だけでは生活ができない状態でした。そのため、ジンバブエでは昇給を求めて多くの職場でストライキが行われました。私の任地も同様で、私がジンバブエにいたほとんどの期間、活動先が閉鎖されていました。

日常食べられる食料も市場に十分出回らず、パン等の食品購入には長蛇の列に並ばなくてはいけません。慢性的な物資不足、上がり続ける物価で高額紙幣が大量に刷られ、お金の価値がどんどん下がり、紙幣が紙屑になっていきます。電気、水のインフラはありましたが、停電断水の状態が続きライフラインも危うい状態でした。そんな中でも出来る範囲で生徒達の授業は行いましたが、結局活動が再開する目処は立たず、2008年3月に任国変更することになりました。

【順調だった次の任地】
新たな任国は東アフリカに位置するウガンダでした。ウガンダで一番驚いたことは、店の商品棚に普通に商品が陳列されていることでした。物流が動いており、経済が活性しているのを感じ、ワクワクしたのを覚えています。

任地は首都カンパラの聾学校。任務はジンバブエの時と同様、難聴児への発音指導と同僚教員への指導法の伝達、それに加えて、他隊員と協働してウガンダ国内の障害児への教育の質向上に寄与することでした。活動がスムーズに行えたかについては自信をもって「YES」と答えることはできませんが、活動できる場所があったことが嬉しかったです。また、停電、断水といったライフラインの遮断はありましたが、それが何週間も続くようなことはなく、生活にも余裕ができました。そういった環境の中、心にも余裕が出来たのでしょう、通常の活動に加えて、イギリス人言語聴覚士が活動している病院で、日本で行っていたような臨床セラピストとして活動したり、ストリートチルドレン更生施設を定期的に訪問したり、ウガンダ国内の難聴児や言語障害児がいる学校を巡回し、指導の啓発も行うことができました。

【活動を通して分かったこと】
状況が両極端な2か国での活動を通して分かったことそれはズバリ!「人様のお役に立つためには自分自身に余裕がないといけない」です。これは私の素性も関係しています。

隊員として活動している間、環境や自身が困難な状況でも逞しく笑顔で活動している他の隊員や、自分の身一つで身を削りながらボランティアをされている方々と接する機会がたくさんありました。彼らは、活動やボランティアに対する覚悟が私とは桁違いでした。そんな方々と接するにつれ、所詮私は無責任な旅人の素性を持ったまま生きていることに気づきました。そんな私が人様のお役に立つには、まず自分が幸せを感じる環境に身を置くことが先です。

思い返せば生活に困窮していたジンバブエ時代、水道から水が流れた時、スーパーでパンを購入できた時等々、日本だと当たり前にできることに一々幸せを感じていました。幸せのハードルが下がることにより、少しのことにも幸せを感じることができるようになりました。身分相応に満足することを知る「足るを知る」精神とでも申しましょうか。

【帰国後の現在】
協力隊参加前の私は、帰国後は海外を飛び回り、グローバルに生きていこうと考えていました。しかし、現在の私はその理想とは程遠く、元の職場の病院で言語聴覚士として慎ましく仕事をしています。

しかし、「足るを知る」精神を身に付けた(と思っています)おかげで、理想とのギャップに失望することなく平穏に暮らしています。「いつかはまた海外に」という願望は持っていますが、その願望をがむしゃらに追うのではなく、今できること、例えば語学力に磨きをかける、現地の元同僚や友人と連絡を取る、海外の情勢に意識的にアンテナを張るetc、、、を少しずつですが実践しつつ、余裕をもって将来の夢に向かっているところです。その夢が叶わない可能性はありますが、牛歩牛歩で夢に向かって進んでいる今、そこそこ幸せを感じております。しかし、それはあくまで自分本位な行動。せっかく協力隊に参加したのにその経験を社会にあまり還元できていないということを、これを書いている今、痛切に感じています。そういう意味ではこのような形で私の体験談を載せていただく機会を与えて頂き感謝しています。この体験談が協力隊に興味がある方に役立ててもらえれば幸いです。

【詳細】
独立行政法人国際協力機構ホームページ>JICA四国>「人」明日へのストーリー「足るを知る」活動
https://www.jica.go.jp/shikoku/story/138.html

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えひめグローバルネットワークは、令和3年度外務省NGO相談員事業を受託しています。
http://www.egn.or.jp/ngo/ngo.html

 

 

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