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NGO相談員

【お知らせ】「人」明日へのストーリー「世界の人々の笑顔に魅せられて」[高知県]

2021.12.03

2016年度1次隊/ドミニカ共和国/小学校教育  2019年度2次隊/ザンビア/小学校教育
瀬下 岳(高知県)

【世界に興味をもったきっかけとは】
私が小学校5年生の時、世界では東欧ユーゴスラビアから独立まもなく起きたサラエボ包囲により紛争が起きていた。その映像を見て感想文を書いたのをきっかけに、千葉県八千代市の子ども親善大使として約2週間の日程でタイのバンコクを訪問した。日本での事前研修で簡単なタイ語を習い、バンコク市長への表敬訪問でタイ語で自己紹介をしたら喜んでくれたという記憶がある。現在のバンコクは東京に引けを取らないくらいの大都市として有名だが、約25年前のバンコクはいわゆる発展途上国、人々は活気に溢れ、貧しくても力強く生きているように10歳の自分の目には映った。親善大使ということもあり、バスには警察の白バイによる先導が付き、自分も信号待ち等で止まった際は、バスの車窓から見える人々に手を振った。皆、笑顔で手を振り返してくれたのを今でも覚えている。帰国後に書いた作文の題名は、「微笑みの国タイ」だ。私はその経験から、当時日本よりも物質的に貧しいタイの人々が、なぜ皆笑顔で幸せそうに見えたのか疑問に思った。仕事に疲れ切った大人たちが電車の中で眠りにふけっている日本とは対照的に、活気に満ち溢れ、皆幸せそうな笑顔を振りまいてくれるタイ。子どもながらになぜこんな違いがあるのかと疑問に思った。この疑問こそ私が世界に興味をもった原点である。

【疑問を確かめにもう一度タイ、そして周辺国へ】
大学2年の夏、大きなリュックサックを背負って小学校5年生の時感じた疑問を確かめに、もう一度タイやその周辺国を約2か月巡った。タイは約10年間で大きな発展を遂げ、高層ビルも立ち並んでいた。しかし路地裏に入ると、未だ貧しい暮らしも垣間見られ、そこで触れ合ったタイの人々もやはり笑顔いっぱいに接してくれた。旅行先の人々は、幸せそうに見え、そろそろ就職活動をしなくてはという自分は、これからどんな人生を歩んでいきたいのか、人生について毎晩自問自答した。そこで考えた結論は、人それぞれ幸せの感じ方は違って、自分もタイの人々のように、いつも笑って幸せだと感じられる人生を歩みたいということだった。物質的な豊かさだけが幸せではないと分かりつつも、タイでの人々の笑顔の背景については、未だ分からなかった。

【日本で小学校教師を5年勤め、いざ海外へ】
年齢も30歳に差し掛かった頃、そろそろ日本での経験を活かし海外へチャレンジしたいと思った。その第一弾は、マレーシアのクアラルンプール日本人学校であった。仕事内容は日本と同じ小学校の担任。タイのお隣マレーシアはマレー系や中華系、インド系と多様な文化が共存し、とても魅力的な国であった。今から7、8年前のマレーシア、特に首都クアラルンプールは既に発展を遂げており、巨大なショッピングモールやコンドミニアム等は日本よりもスケールが大きく、多様な文化に触れる楽しさを感じた。また、東南アジア特有の活気と笑顔に沢山触れ、マレーシアの人々に魅了された。もっともっと現地の人々と交流し、その想いや生き方に触れたい。そんな思いが強くなり、満を持してJICA海外協力隊に応募した。

【一回目の協力隊、ドミニカ共和国へ】
活動先は教員養成校で、小学校教師を目指す20歳前後の学生に算数・数学の指導法を教える活動であった。最も驚いた点は、算数の基礎的な計算が全くと言っていいほど身についていないということである。指導法を教える以前に算数の基礎的知識をつけてもらう授業をすることがまず先決だと思い、四則計算等の基本的な内容を伝えていった。日本では掛け算九九は小学校2年生で暗記させるが、ドミニカ共和国では九九を暗記をするという概念はなく、掛け算に四苦八苦する姿があった。その中で、日本との決定的な違いを見つけた。それは分数の約分の仕方である。例えば日本では、72/81×63/64という分数の掛け算では、分子と分母を掛け合わせる前に掛け合わせる分母と分子の最大公約数を見つけ先に約分をするというのが鉄則(最初に掛け合わせると数が膨大になってしまうため)であると教えるが、ドミニカ共和国では、何千何百分の何千何百と先に分子と分母を掛け合わせ、そこから偶数であったら2、奇数であったら3で割り、数を小さくしていくというやり方をどの学生もしていた。同僚の教員に聞いてもこの方法をとっていた。分子と分母を先に掛け合わせた後、十数回に及ぶ約分の過程でミスし、正解に至らないという問題点があった。この問題を解決しようと考え、分数をメインに活動し、活動先の教員養成校では日本式の分数の計算方法について一定の理解を得た。しかし他の活動先の同期に聞くところによると、ドミニカ共和国式の計算方法は広く根付いており、これを根本的に解決する難しさを感じた。国際教育協力の中でも算数を学び直そうと思い、広島大学大学院へ進学を決めた。

【大学院で国際教育協力の算数を学び、理論と実践を繋ぐ】
広島大学大学院には、国際協力の算数・数学と言えばこの先生と言われる有名で経験豊かな先生がいらっしゃったので、その先生の研究室の門を叩いた。ドミニカ共和国の時に感じた疑問を解決するために研究をしたいという思いを伝え、今度はザンビアの小数の研究をすることになった。過去の文献を熟読していく中で、児童の小数の理解に着目し、その理解度の段階分けを試みた。また、活動と調査を兼ね、大学院を休学し、ザンビア特別教育プログラム(※)で協力隊に行くこととなった。

※「ザンビア特別教育プログラム」とは、アフリカ・ザンビアでJICA海外協力隊として、理科や数学を教えながら、広島大学大学院人間社会科学研究科国際教育開発プログラムで修士号を取得するプログラムです。広島大学大学院人間社会科学研究科は、「発展途上国の諸課題の解決に取り組むことができる高度専門職業人の育成」という目的の一環として、広島大学とJICAによる連携協定のもと特別教育プログラムを実施しています。(ザンビア特別教育プログラムHPより)

【二回目の協力隊、ザンビアは緊急帰国】
ザンビアの小学生もドミニカ共和国同様、算数の基礎的計算が未習熟の児童が大勢いた。一番の問題点は、四則計算において、棒(IIIIII)を書いて、その棒を数えて計算するというものであった。十の概念がなく、整数でも小数でも棒を書いて数えようとする姿に唖然とした。教室環境も日本と同じくらいの大きさの教室に、約100名の児童が密集し、机と椅子が足りていない状況でも、子どもたちは必死に授業で学んでいる姿に非常に驚いた。

赴任後、約3ヶ月が経ち、受け持っていた6年生の算数の授業もようやく軌道に乗ってきたと感じていた頃、今話題の新型コロナウィルスが世界的に蔓延し、急遽帰国を余儀なくされた。たった3ヶ月でザンビアの方々に何も出来ずに帰国しなくてはならないという無念の気持ちが今でも残る。そんな無念の気持ちを抑え、ザンビアの方々の役に立ってもらえたらという思いで、「ザンビア小学生の小数概念の習得段階に関する研究」の修士論文をかきあげた。現在、ザンビアの学術雑誌にもこの論文を投稿中である。

【縁あって、高知県の小学校教員へ】
全国公立小学校初の国際バカロレア認定校(※)がここ、高知県にある。縁あってその小学校で担任を勤めることになった。今一番のやりがいは、協力隊や大学院で培った人脈を活かし、ドミニカ共和国の日系人や鳴門教育大学の留学生をゲストティーチャーとして招いたり、オンラインで繋いだりして、児童に国際的な感覚を感じてもらうきっかけ作りを行っていることである。また、SDGsを学んでいく過程で、2019年度2次隊の同期隊員も、約30名程度、アジア数カ国、アフリカ十数カ国、任国に戻っているので、その同期とオンラインでつなぎ、アジアやアフリカの現在のリアルを児童に感じてもらっている。(下記詳細ページの関連リンク参照)

コロナ禍になりオンラインが急激に発展したことは、プラスであると感じる。しかし、オンラインが発展し、世界と簡単に繋がれる世の中になっているが、やはり人と人とのコミュニケーションは、対面が基本。私の人生の研究テーマである「世界の人々の笑顔に秘められた想いを探る旅」は続く。

※国際バカロレア認定校:国際バカロレア機構がグローバル化に対応できるスキルを身に付けた人材を育成するために提供している教育プログラムの認定を受けている学校

【詳細】
JICAホームページ>JICA四国>「人」明日へのストーリー>世界の人々の笑顔に魅せられて
https://www.jica.go.jp/shikoku/story/142.html


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えひめグローバルネットワークは、令和3年度外務省NGO相談員事業を受託しています。
http://www.egn.or.jp/ngo/ngo.html

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