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NGO相談員

【お知らせ】「人」明日へのストーリー『憧れた協力隊での2年間』[愛媛県]

2023.11.16

2017年度3次隊
モザンビーク/青少年活動
細川 由衣(愛媛)

【青年海外協力隊になるまで】
青年海外協力隊に興味を持ったのは中学生の頃、テレビでモンゴルに派遣されている女性を見たことがきっかけでした。女性で20代という若さで派遣され、子供達や現地の方と活動されている姿を画面越しに見て、「かっこいい」と憧れたのを今でも覚えています。
高校に入ってからは憧れから「自分も行きたい」へ変わり、大学は国際協力について学べる東洋大学国際地域学部(現 国際学部)に行きました。教授や先輩には協力隊やJICA関係者の方が多く、実際に行かれた方の話を聞く機会が多かったと思います。行きたいとは思うけれど自分に何ができるのかわからない、と悩んでいた私に、協力隊経験者の大学教授がたくさん話を聞いて背中を押してくれ、私にもできることがあるんだ、と大学3年生の時に応募。結果を待ちながらそろそろ就活を本気で始めようかと思っていた時に、合格通知が届きました。あの時の喜びは今でも覚えています。
派遣前訓練は大学4年生の10月頃だったので、大学の単位を取り終わるのと卒業論文を終わらせるのに必死でした。約70日間の派遣前訓練では、モザンビークの公用語であるポルトガル語を習いましたが、これがとても難しく、半泣きになりながら勉強していました。ですが、同じ志を持った世界中に飛び立つ予定の協力隊の仲間たちとできた絆はとてもかけがえのないものとなっています。
訓練後無事に卒業論文も終わらせて、大学4年生の1月、モザンビークへと派遣されました。

【モザンビークでの活動】
派遣されたのはアフリカ南東部の海岸に位置するモザンビーク。1975年にポルトガル領から独立し、その後もつい20数年ほど前まで内戦が続いていた国です。
そんな貧しい、厳しい環境をイメージしていましたが、首都マプトは高層ビルやショッピングセンターなどが建ち並ぶ大都会。そんな賑やかな都市での1ヶ月のホームステイと語学研修を得て、いよいよ北部にある私の任地「モザンビーク島」という島へ。
モザンビーク島は首都から飛行機で2時間、車で4~6時間かけてたどり着きます。島全体がモザンビーク唯一の世界遺産となっており、全長3kmほどの小さな島です。それよりも長い4kmもある長い橋で大陸と繋がっています。
そんなモザンビーク島にある小学校へ、私は音楽を教える先生として派遣されました。ただ、赴任してみると「体育・美術の先生も教える人がいないから教えて欲しい」と言われ、音楽・体育・美術の3教科を小学6、7年生に向けて教えていました。
放課後はクラブ活動として日本語やピアニカ、ダンスを生徒たちに教え、島の子供達と一緒に絵を描く活動も行っていました。

【一番つらかった派遣から半年頃】
最初は早く現地の人たちと仲良くなれるよう積極的に島の中を散策したり、現地の人たちと関わったりしていましたが
細かいところまで伝わらない言語の壁
生徒をまとめられず騒がしくなる授業
知らない人からエセ中国語で話しかけられる
島内のコミュニティの狭さから商店で買ったものまで噂が出回る
集合時間に来ない生徒·同僚達
お金を騙し取ろうとしてくる売人
などに疲れ、派遣から半年ほどでホームシック状態になっていました。現地の人と関わることにも疲れてしまい、家に引き篭もったり、他の隊員がいる地域に遊びに行ったりして、その頃は休日に現地の人と関わることが少なかったと思います。

【困難もモザンビーク人の温かさに助けられる】
それでも、いつも助けてくれるのはモザンビークの人たち。
お金をせびる悪徳警官に絡まれたときに、顔見知りのバスの運転手がかばってくれたり、バスで乗り合わせた人が人づてに私のことを知っていてマンゴーやカシューナッツをおごってくれたり、バスで隣に座って仲良くなったおじいさんが、後から乗ってきてエセ中国語で話しかけてきた人に対して代わりに「この人は日本人だ」と注意してくれたり、怒っても喧嘩しても次の日にはケロッとしていて、人懐っこく話しかけて来てくれる生徒や同僚たちに癒されることも多く、次第に活動へのモチベーションも取り戻していきました。
徐々にいろいろな人から声をかけられるようになり、イベントでダンスのお披露目の機会をもらったり、地域の子供たちに美術館で絵を教える活動を一緒にやらないかと声をかけられたりして活動の幅が広がりました。
授業の進め方で困ったときは同僚を頼って相談することも多くなり、他の隊員の活動見学に行くなどして生徒のまとめ方や授業中のポルトガル語での言い回し方などを学ばせてもらいました。
段々と落ち込んでいた時期から回復していき、何より子供たちが授業を楽しみにしてくれている、楽しそうに受けてくれることがモザンビークに来て良かった、と実感させられました。

【帰国後とこれから】
青年海外協力隊での経験は、私にとって本当にかけがえのないものとなりました。
今でも、現地の生徒や同僚・友達とメッセージのやり取りやテレビ電話をしています。毎回聞かれるのが「次はいつモザンビークに帰ってくるの?」です(笑)。いつかまた、モザンビークのみんなに会いに行きたいと思っています。
帰国後は、大学院修士課程を修了し、NGOでの活動経験を得て現在は塾で勤務をしています。
塾に通う子供たちにモザンビークの話をすることもありますが、JICAから出前講座などの機会を頂くことも多く、小学校から大学、図書館などで協力隊の経験談をお話させていただいています。
私が子供の頃にTVの協力隊の方を見て憧れたように、私の話を聞いた子供たちが少しでも世界に視野を広げ、国際協力に興味を持ってもらえるといいなと思っています。

【詳細】
独立行政法人国際協力機構ホームページ>日本での取り組み>JICA四国>憧れた協力隊での2年間
https://www.jica.go.jp/domestic/shikoku/story/1522740_36358.html


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えひめグローバルネットワークは、令和5年度外務省NGO相談員事業を受託しています。
http://www.egn.or.jp/ngo/ngo.html

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